「お父さん、それ何年着てるの?」
娘に言われて、自分のポロシャツを見た。
「知らない。まだ着られるだろ。」
「着られるけどさ。」
その先を言わない。
「何だよ。」
「いや、いい。」
その「いや、いい」が気になった。
休日の昼。
家族で食事に行くだけだ。
襟も破れていないし、穴も開いていない。
何が悪い。
そう思いながら、
「俺は昔からこういうのが好きなんだよ。」
と言った。
すると娘が笑った。
「お父さんって、何でも『昔から』だよね。」
少しムッとした。
好きなものを長く使うことの何が悪い。
流行を追いかける歳でもない。
ところがその日、娘の一言がずっと頭に残った。
「昔から。」
考えてみれば、最近よく使っている。
変わっていないのは、好みだけじゃなかった
食事を終えたあと、娘が買い物に付き合ってほしいと言うのでショッピングモールへ行った。
洋服を見ている娘を待ちながら、近くのメンズ売り場を眺める。
店員が、
「よかったらご試着どうぞ。」
と声をかけてきた。
「いや、俺はこういうの着ないから。」
反射的に答えた。
そのとき、自分でもおかしくなった。
まだ触ってもいない。
着てもいない。
なのに、もう「着ない」と決めている。
娘の言葉が戻ってきた。
――何でも昔からだよね。
試しに一枚、着てみた。
鏡を見る。
悪くない。
むしろ、今着ている服よりすっきりして見える。
「こういうのも似合うじゃん。」
いつの間にか後ろにいた娘が言った。
「そうか?」
「うん。そっちの方がいい。」
嬉しかった。
素直に喜ぶのは照れくさくて、
「店員に言わされてないか?」
と冗談で返した。
でも、鏡の中の自分をもう一度見た。
服一枚で若者になったわけではない。
顔はいつもの50代だ。
それでも、少し新鮮だった。
そこで初めて思った。
もしかすると自分は、
「これが好き」
ではなく、
「これしか知らない」ものまで好みだと思い込んでいたのかもしれない。
若返るって、若者の真似をすることじゃない
その晩、風呂上がりに洗面台を見た。
昔から使っている整髪料。
いつ買ったかわからない櫛。
何となく選んでいる下着。
いつも似たような靴。
服だけではなかった。
自分の周りには、
「特に困っていないから。」
という理由で続いているものがたくさんあった。
翌朝もそうだった。
いつものシャツを着て、いつものインナーを選ぶ。
胸元が少し目立った。
以前なら、
「男なんだからこんなもんだ。」
で終わっていた。
でも、その日は少し引っかかった。
これも本当に、
「こんなもの」
なのだろうか。
それとも、何十年も前の感覚をそのまま使っているだけなのか。
若い頃にはなかったものが、今はたくさんある。
服の素材も変わった。
男性の身だしなみに対する考え方も変わった。
昔は選択肢そのものが少なかったことだってある。
なのに、自分だけが30年前の答えを使い続けていたら、どこかでズレるのは当たり前だ。
そこで、ようやくわかった。
若々しく見える人は、若者の真似をしているわけではない。
新しいものを何でも買う人でもない。
今の自分に合わなくなったものを、そのままにしていない。
その違いなのかもしれない。
50代で20代の髪型をする必要はない。
流行の服を全部買う必要もない。
ただ、
「昔からこうだから。」
と口にしたとき、一度だけ立ち止まってみる。
それならできそうだった。
一つ変えたら、次の「昔から」が見えてきた
それから、何でも買い替えたわけではない。
長く使っていても、気に入っているものはそのまま使う。
ただ、理由を考えるようになった。
本当に好きなのか。
それとも、変えるのが面倒なだけなのか。
最初に見直したのは、毎日身につけるものだった。
くたびれた肌着を処分した。
胸元が気になりにくいタイプも試してみた。
今まで選ばなかった色のシャツも買った。
美容院では、
「いつもと同じで。」
と言いかけてやめた。
「今の自分に似合う感じにしてもらえますか。」
美容師が少し嬉しそうに、
「じゃあ、少し変えてみましょうか。」
と言った。
髪を切って家に帰ると、娘がすぐに気づいた。
「あれ?いいじゃん。」
「若くなった?」
そう聞くと、
「若返ったっていうより……。」
娘が少し考える。
「今っぽくなった。」
その言葉が、思った以上に嬉しかった。
若く見せようと頑張ったわけではない。
年齢をごまかしたわけでもない。
ただ、ずっと自動的に選んできたものを一度止めてみただけだ。
50代になると、自分のやり方が出来上がっている。
それは経験でもあるし、強みでもある。
でも、その中に一つくらい、
もう今の自分には合っていないものが混ざっているかもしれない。
服でもいい。
髪型でもいい。
毎朝、何も考えず手に取っている一枚でもいい。
「昔からこれだから。」
そう言いそうになったら、一度だけ疑ってみる。
変えた方がよければ変える。
やっぱり好きなら戻せばいい。
それくらいでいい。
若返るとは、過去の自分に戻ることではない。
今の自分に合うものを、今の感覚でもう一度選び直せること。
50代には、そのくらいの若返り方がちょうどいい。