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妻から下着をもらった夫の本音

妻から下着をもらった夫の本音

——今日はクリスマス

正直に言うと、最初は少し照れくさかった

今日はクリスマスだ。
朝、リビングに置かれた小さな箱を見たとき、私は少しだけ身構えた。
結婚して何年も経つと、プレゼントは実用的なものが増える。
それは悪いことではないし、むしろありがたいことなのだけれど、「今年は何だろう」と考える時間は、やっぱり少し特別だ。

箱を開けて、中身を見た瞬間。
私は思わず、照れ笑いをしてしまった。

——下着だった。

正直に言えば、「え、下着?」という気持ちはあった。
決して嫌ではない。
ただ、どこか気恥ずかしい。
自分ではあまり真剣に選ばないものを、妻に選ばれているという事実に、少しだけ居心地の悪さを感じたのだ。

私は普段、下着に強いこだわりを持っているわけではない。
まだ着られるから、と何年も同じものを使ってしまう。
多少ヨレていても、気にしない。
誰に見せるわけでもないし、困っていないと思っていた。

だからこそ、
「どうして下着なんだろう?」
そんな疑問が、最初に浮かんだ本音だった。

けれど、箱から取り出した下着を手に取った瞬間、その気持ちは少しずつ変わっていった。

生地は柔らかく、でも頼りなくはない。
触っただけで、今まで自分が着ていたものとは違うと分かる。
色も派手ではなく、落ち着いている。
「これは、ちゃんと考えて選んだな」
そう感じさせるものだった。

そのとき、私は気づいた。
このプレゼントは、驚かせるためのものではなく、
私の毎日を想像して選ばれたものなのだ、と。

下着を替えただけで、こんなに違うのかと思った

クリスマスの夜、シャワーを浴びたあと、妻からもらった下着を身につけてみた。
正直、そこまで大きな変化はないだろうと思っていた。

だが、着た瞬間、意外な感覚があった。

まず、肌への当たりがやさしい。
締めつける感じがないのに、だらしなくもない。
体に自然に沿って、動くたびにズレない。
そして胸元が透けないように特殊加工が施されている。
それだけで、こんなにも心地よいものなのかと驚いた。

私は仕事柄、長時間座ることが多い。
夏は蒸れるし、冬は意外と冷える。
今まで、そういう小さな不快感を「仕方ないもの」として受け入れてきた。

けれど、この下着を着ていると、その「仕方ない」が減っている。
一日を終えたときの疲れ方が、ほんの少し違う。
大きな変化ではない。
でも、確実に楽なのだ。

次の日、仕事に出かける前、自然とその下着を選んでいる自分に気づいた。
「今日はこれにしよう」
そんなふうに考えたことは、今までなかった。

不思議なもので、身につけるものが整うと、気持ちまで整う。
シャツを着たときのラインも、なんとなくきれいに見える。
鏡の前で、背筋を伸ばす自分がいる。

誰かに褒められたわけでもない。
自分の中だけの変化だ。
それでも、静かな自信のようなものが生まれていた。

そのとき、私はようやく分かった。
下着は、見せるためのものではなく、
自分を支えるためのものなのだと。

これは「気づかれなくていい優しさ」なんだと思った

何日か経って、ふと妻の顔を見ながら思った。
この下着は、きっと「喜ばせよう」として選ばれたものではない。
「役に立てばいい」
「少しでも楽に過ごしてほしい」
そんな気持ちから選ばれたものなのだ。

妻は、私が下着を替えたことを、特に話題にしない。
「どう? 着心地」
と聞くこともない。
それが逆に、このプレゼントらしいと感じた。

下着は、誰かに見せるものではない。
褒められることも、話題になることも少ない。
それでも、毎日、確実に役に立つ。

このプレゼントは、
「ありがとう」や「好きだよ」を声に出さなくても、
ちゃんと伝わる形なのだと思った。

結婚生活が長くなると、
言葉よりも、こうした静かな気遣いのほうが心に残る。
派手なサプライズより、
「あなたの生活をちゃんと見ていますよ」というメッセージのほうが、深く響く。

今日はクリスマス。
特別な日ではあるけれど、
この下着は、今日だけのものではない。
明日も、その次の日も、私の一日を支えてくれる。

私は、少し照れながらも、心の中で思った。
「これは、いいプレゼントだな」と。

もし、誰かに
「妻から下着をもらうのって、どうなの?」
と聞かれたら、こう答えると思う。

最初は少し照れる。
でも、それ以上に、
自分を大切にしてもらっていると感じられる、と。

クリスマスの夜。
ツリーの灯りを横目に、
私は静かに、その下着を畳んだ。

派手さはない。
でも、確かにあたたかい。

——今年のクリスマスは、
とても現実的で、
とても優しい夜だった。